いつか私は彼を殺してしまう
酷く荒々しく揺らめいた霊圧を感じて、私は追っていた字面から視線を上げ、窓を見る。
一時間ぐらい前から降っている雨が窓をぱちぱちと叩いている。頬を伝う涙のように川をつくって雨が流れていくから、外は殆ど見えない。
その上、もう夜なのに加え、厚い雲に覆われているから、外は真っ暗だ。月明かりさえない。
でも、それなのに、彼の真っ赤な髪の毛だけは嫌に鮮明に浮かびあがり、私にその存在を伝える。
いつのまにか、私は、すぐに彼の姿を見つける癖を持ってしまった。
厄介なことだと、ため息を吐いて、静かに立ち上がった。
「どうしたんですか、阿散井副隊長」
ドアを開ければ、やっぱり阿散井副隊長が立っていて。私が声をかければ、「……よう」と質問の答えになっていない声を出した。
雨に濡れているのか、死装束はいつもに増して黒く、その肌にはりついていた。
「部屋の中濡れんのは嫌なんで、これで拭いてから上がってください」
用意していたタオルを渡すと、阿散井副隊長は、「あぁ、悪い」といってそれを受け取った。
阿散井副隊長がこの家を訪れるのは、一体何度目だろう。私は頭の中で指を折って考えてみたが、あまりにも多くて途中であきらめた。
「コーヒーしかないんですけど、飲みます?」
私が、そう聞くと、部屋に入って椅子に座ろうとしていた阿散井副隊長は、「砂糖を山ほど入れてくれるんなら」と言った。私は頷いて、言うとおりにする。その間も阿散井副隊長の霊圧はゆらゆらと揺れていて、平凡な霊圧でしかない私にとってあまり心地良いものではなかった。
「何かあったんですか?」
用意したコーヒーを受け取りながら、阿散井副隊長は、曖昧に頷いた。そして、小さく、「……ふられた」と言った。私は、やっぱりそれか、と心の中で呟く。
「またですか?」
「またっていうなよ、お前」
「だって、またじゃないですか。何度目です、これで?」
私は、また、回数を頭の中で考える。でもその回数と先ほどの回数は殆ど一緒だったから、やっぱり諦めた。
阿散井副隊長は、少し不貞腐れたように口に手を当ててそっぽを向いている。
「この間は、三番隊の子、次が、九番隊の子、それで今回は六番隊の子。あ、今回は同じ隊だったんですね。それなのに、ふられたんですか?」
「あーもう、小姑みたいに言いやがって、うっせぇな」
「私に怒ったって仕方ないでしょうが。で、敗因はなんなんですか?」
私は自分用のコーヒーを飲みながら、阿散井副隊長に尋ねる。彼は、眉に皺をよせたまま此方を向いて、「彼氏がいた」と、ぶっきらぼうに言った。
「は?彼氏?……え、副隊長は彼氏がいるかどうかわからない人を好きだったんですか?3ヶ月も?」
「知らなかったんだからしかたねぇだろ!」
「だから、私に怒んないでくださいよ」
「……」
黙ってしまった阿散井副隊長は、コーヒーを口に運ぶ。既にコーヒーではなく砂糖水になっているであろうその物質にさえ、阿散井副隊長は眉をひそめ、苦いと呟いた。
「なぁ、。やっぱり酒ある?酒がいいわ」
「お酒なんてありません、ここは居酒屋じゃないんで」
「ちみっちいな。酒好きのお前の家に酒がないわけないだろ」
「……」
仕方なく、棚から酒を取り出してくる。料理用の酒でもだしてやろうか、と思ったが、結局のところ大事にしていた銘酒を出してきている自分が馬鹿馬鹿しくて笑えた。
「でも、なんで彼氏が居るって分かったんですか?」
酒瓶を渡すと、阿散井副隊長はそれを受け取って、勝手に手酌で飲む。私はどうしたらいいかと思っていると、彼は私のコップを手繰り寄せ、注いでくれた。
「相合傘してたんだよ」
「相合傘?」
「そう。肩寄せ合って」
その状況を思い出したのか、阿散井副隊長は眉間に皺を寄せ、そっぽをむいた。肩を寄せ合って幸せそうに歩く二人。
それを唖然と見ている阿散井副隊長の背中を私は思い描いた。
仄暗い快感が、背中を駆け巡る。
「でも、もしかすると偶々なんじゃないですか?」
「……違ぇよ」
「何で?」
「馬鹿。ずっと見てんだ。顔見りゃ分かる」
たかが3ヶ月間見ていただけだというのに、何が分かる。
そう思ったけど、私は言わなかった。
「あんな笑顔みたことねぇ」
私は何も言うことが出来ず、ただ、そうか、この世には恋人や好きな人にだけ見せる表情と言うものがあるのか、と思った。
だとしたら、阿散井副隊長は、阿散井副隊長の中に存在するいくつもの表情を私に見せていないということだ。
彼が、恋をし、それに敗れるまでの3ヶ月間という期間の何倍以上の年数を彼に囚われている私さえも見ることが出来ていない表情が存在する。そう考えれば、なるほど、誰も彼もが「恋人」というカテゴリーに含まれたがる理由が、何となく理解できた気がした。
阿散井副隊長は酒を一気に煽った。
ごくん、と彼の喉仏が上下するのを、ぼんやりと見つめた。その視線に気がついたのだろう、酒のせいで何処か熱に犯されたような目で、阿散井副隊長が私を見た。
「なぁ、友達と、好きな女の違いって何なんだろうな」
友達が「私」で、好きな女が「相合傘の女」だということは分かりきっていた。そんなこと自分の胸に聞けば良いのに。そう思った。
「……性的な欲望が生まれるか、生まれないかの違いじゃないんですか」
けれど、私は言った。阿散井副隊長は、私を見ていた。その視線から逃れるように、私も酒を煽る。
欲望から恋愛は始まる。欲望の無い恋愛なんて、御飯事に過ぎず、その負担はやがて二人の間を破壊する。
「じゃあ、次好きになるのはお前かもな」
その私に、阿散井副隊長は言った。冗談めいていて、多分嘘で。万が一、それが本当だとしても、私は鼻で笑うだろう。ずっと友達だったのだ。何年もずっと。この関係は、異性間で交わされる一瞬の熱情よりも、尊く得がたいこのだと、そう思うことで、私はこの気持ちに蹴りをつけている。
「もう酒が回ってるんですか?すっごく迷惑なんですけど」
「なんだよ、可愛くねぇな」
そう言って、阿散井副隊長は顔を隠すように、テーブルに崩れ落ちた。私こそ、そうしたい。私こそ、泣いてしまいたい。
「大丈夫ですって。女の死神なんて、そりゃあ男の人より少ないけど、たくさん居ますよ」
「……ちょっと待て。その計算だと、男が余るだろ」
「副隊長があまったりはしないでしょ。副隊長、結構人気ありますから」
こうやって、私はお座成りに阿散井副隊長を慰める。近い将来、彼はまた懲りもせず恋をするのだろう。
私じゃない名前を挙げて、なぁお前はどう思う?と、尋ねて来る。
私はきっと、はいはい、良いんじゃないですか、なんて適当に答えて、彼の幸せを願うのだ。
こんな謙虚な私が、心の中で、その女を呪い殺すことを考えているぐらい、多分きっと可愛いものだと、私は思う。